カサ・ミラバルセロナ · 非公式ガイド
バルセロナ · グラシア通り92番地

カサ・ミラ

バルセロナのグラシア通りに建つ、ガウディ最後の民間住宅カサ・ミラ。波打つ石の外壁から「ラ・ペドレラ(石切り場)」とも呼ばれます。歴史、建築の仕組み、館内の見どころ、見学の基本を、公式サイトの案内にもとづいてまとめました。

チケットを見る チケットの選び方 公式のオンライン料金は29ユーロから。日付や種類で変わります
世界遺産(1984年登録)見学は1時間から1時間半ほど日本語のビデオガイドあり
バルセロナのグラシア通りに建つカサ・ミラの外観

カサ・ミラとは

カサ・ミラは、バルセロナの目抜き通りグラシア通り92番地にある建物で、建築家アントニ・ガウディが手がけた最後の民間の依頼作品です。実業家のペレ・ミラと、その妻ロサリオ・セギモンが住まいと賃貸住宅をかねて依頼し、1906年に設計図が市役所に出されて工事が始まりました。

最大の特徴は、直線がほとんど見当たらない外観です。うねるような石の壁面は、砂丘や波、あるいは侵食された岩山にたとえられます。完成当時のバルセロナの人々は、この前例のない姿を石切り場(カタルーニャ語で「ラ・ペドレラ」)と呼んで揶揄しました。いまではそのあだ名が、建物の愛称として定着しています。

建物は現在、カタルーニャ・ラ・ペドレラ財団の本部として使われ、昼と夜の見学のほか、展覧会やコンサートの会場にもなっています。1984年には、グエル公園、グエル邸とともにユネスコの世界遺産に登録されました。

カサ・ミラの外壁を見上げたところ
石の壁が波のように張り出し、窓とバルコニーが曲線に沿って並びます。

ひと目でわかる基本情報

項目内容
場所バルセロナ、エイシャンプラ地区、グラシア通り92番地
設計アントニ・ガウディ(1906年に着工)
完成公式の沿革では1912年に完了を証明
世界遺産1984年登録。2005年に「アントニ・ガウディの作品群」へ名称変更
チケット公式のオンライン料金は29ユーロから
所要時間公式FAQでは1時間から1時間半ほど
休館日年中無休。ただし特定日に休館あり
最寄り駅メトロ3・5号線ディアゴナル駅

情報は2026年10月に公式サイトで確認した内容です。開館時間や料金は日付とプログラムで変わるため、購入前に公式のカレンダーで確認してください。

歴史のあらまし

依頼から完成まで

ペレ・ミラは1873年生まれ、ロサリオ・セギモンは1871年生まれと公式の沿革にあります。ロサリオは、グアテマラでコーヒー農園を営んで財をなした前夫の遺産を持つ資産家だったと、英語版Wikipediaは伝えています。二人は結婚した1905年に、グラシア通りの庭付きの家を買い、ガウディに新しい住まいを依頼しました。主階に自分たちが住み、残りを賃貸に出すという計画でした。

設計図は1906年2月2日に市役所へ提出され、工事が始まりました。既存の建物を改築したカサ・バトリョと違い、カサ・ミラは古い家を取り壊して一から建てた建物です。完成については資料で表記が分かれます。公式の沿革は、ガウディが1912年10月31日に「設計図と監督にもとづき、建物全体が賃貸できる状態にある」と証明したと記します。日本語版Wikipediaは1906年から1910年、英語版Wikipediaは1910年12月に工事が終わり、証明書が1912年に出たと書いており、このサイトでは公式の「1906年から1912年」を採ります。

批判と論争

建設中から、建物は大きな話題になりました。英語版Wikipediaによれば、1907年には歩道にはみ出した柱をめぐって市が工事を止め、1908年には高さと敷地の超過で罰金か屋根の取り壊しを求められました。この争いは、1909年末に委員会が記念碑的な建物と認め、条例の厳密な適用は不要と判断して決着したとされています。公式の沿革にも、1909年に同様の認定があったことが書かれています。

ガウディと施主夫妻の関係も、工事が進むにつれて悪化しました。英語版Wikipediaによると、ガウディは報酬をめぐって裁判を起こして1916年に勝ち、受け取った金額を慈善に寄付したと伝えられています。

住人と改装

最初の入居者には、自動車ブランドの経営者パコ・アバダルや、アルゼンチン領事のアルベルト・I・ガチェなど、ミラ夫妻の友人や知人が名を連ねました。公式の沿革は、のちに外交官、俳優、医師、芸術家など多彩な人々が暮らしたと記しています。

ガウディが1926年に亡くなったあと、ロサリオはガウディの装飾が好みではなかったとして、自分の階の一部を改装させました。公式の沿革では、532.5平方メートルに及ぶ天井装飾が撤去され、新しい内装に替えられたとされています。現在の展示や復元には、この失われた部分をたどる試みも含まれます。

20世紀後半の転機

1940年にペレ・ミラが亡くなり、ロサリオは1946年に建物を不動産会社に売却しましたが、主階に住み続けました。建物には店舗やオフィス、1970年代にはビンゴホールや小さな商店街も入りました。1962年にはバルセロナ市の歴史的・芸術的建築遺産の目録に登録され、1969年には国の重要な記念物に指定されています。

1984年に世界遺産へ登録されたのち、1986年12月にカイシャ・カタルーニャ(貯蓄銀行)が建物を購入して修復を本格化しました。1996年に全体の修復が完了し、文化センターとして一般公開されます。2013年からはカタルーニャ・ラ・ペドレラ財団が所有し、入場料は財団の社会・文化・教育プロジェクトに充てられると公式は説明しています。

夕暮れのカサ・ミラ
灯りがともると、石の曲面に陰影が生まれます。

建築のポイント

見た目の面白さだけでなく、構造や暮らしやすさでも、当時としては先進的な建物でした。

石のカーテンウォール

外壁は建物を支えず、6,000個を超える石のブロックが金属の部材で骨組みに固定されています。

自由な平面

石と煉瓦の柱で支えるため、内部の壁を動かせます。20年後の近代建築を先取りしたと公式は説明します。

2つの中庭

グラシア通り側の円形の中庭と、プロベンサ通り側の楕円形の中庭が、すべての住戸に光と風を届けます。

外壁には、ガラフ産の石灰岩、ビラフランカ・デル・ペネデス産の石、ウルデコナ産の石灰岩が使われています。32か所のバルコニーの錬鉄の手すりは、鉄くずや鉄の棒、鎖から作られ、海藻が波に漂うような形をしています。石の張り出しとファサードのくぼみで、バルコニーは小さなテラスのような広さになりました。

住戸の考え方にも新しさがありました。当時のエイシャンプラの賃貸住宅と違い、主階段を設けず、住戸へはエレベーターか使用人用の階段で入ります。天井は水平ではなく、建物の起伏に沿った浮き彫りの面で、葦を編んだ下地に漆喰を塗る方法で作られました。扉の取っ手は、手の関節に合うように設計されたと公式の解説にあります。

地下にはガレージが作られ、馬車と自動車の両方が通れる広いスロープが付きました。自動車が普及し始めた1900年ごろの暮らしを見すえた設計です。

屋根裏は、270本の煉瓦造のカテナリーアーチが連なる空間です。建物の重さを増やさず、自立し、控え壁が要らないアーチで、もともとは共同の洗濯場や物干し場、倉庫、エレベーターの機械室でした。屋根裏の床は建物の断熱層も兼ねていました。

屋上には、6つの階段室の出口(バダロット)、29本の煙突、2つの換気塔が並びます。煙突は、いまは使われていない石炭焚きの暖房の排煙用で、形は煙の流れに合わせて内外の線が設計されました。階段室の出口の4つは、陶器や大理石、ガラスの破片を貼るトレンカディスで覆われています。煙突の本数は公式が29本と説明し、英語版Wikipediaは28本としています。

屋上テラスの煙突
兜をかぶった兵士のようにも見える煙突が、屋上に並びます。

館内でどこを見るか

公式のエッセンシャルの見学では、5つの階にまたがる約4,500平方メートルを自由に回ります。

場所内容
花の中庭グラシア通り側の入口。花の壁画と大階段
蝶の中庭プロベンサ通り側。色鮮やかな壁画と鉄とガラスの扉
アパートメント1911年ごろの暮らしを再現した住居階
屋根裏270のアーチの下の、ガウディ展の空間
屋上テラス煙突と階段室が並ぶ、360度の眺め

それぞれの見どころは見どころと建築で、順番に説明しています。

中庭の壁画
中庭の壁と天井には、花や植物を思わせる絵が描かれています。

世界遺産としてのカサ・ミラ

1984年11月2日、カサ・ミラはグエル公園、グエル邸とともに世界遺産に登録されました。公式サイトによれば、スペインでは同じ年に、アルハンブラ宮殿やコルドバのメスキータなどとともに最初期の世界遺産のひとつになりました。登録の基準は、人類の創造的才能を示す傑作であること、カタルーニャ文化の最盛期を示す例であることなどです。

2005年には、サグラダ・ファミリアの生誕のファサードと地下礼拝堂、カサ・ビセンス、カサ・バトリョなどが追加登録され、全体が「アントニ・ガウディの作品群」という名称になりました。バルセロナで見られるほかの作品については、姉妹サイトのカサ・バトリョとグエル公園で日本語の案内をまとめています。

屋上のアーチ越しに見えるサグラダ・ファミリア
屋上のトレンカディスのアーチの奥に、サグラダ・ファミリアが見えます。

保存修復のあゆみ

1980年代の建物は、保存状態がたいへん悪い時期がありました。1971年には外壁から大きな石が落ちる事故もあり、緊急の補修が行われています。本格的な修復は1986年に始まり、1996年に全体が終わりました。公式の説明では、構造の補修に加えて、元の素材と質感、色彩を取り戻す方針がとられました。

その後も、2001年から2003年にかけて主ファサードを4段階に分けて修復し、2007年に裏のファサード、2008年にグラシア通り側の中庭を修復しました。2012年から2013年には二つの玄関ホールの壁画、2014年には主ファサードの石の洗浄とひびの補修、2017年から2018年に裏ファサード、2021年にはプロベンサ通り側の中庭と進みました。訪れた時に足場や覆いがかかっている場所があるのは、こうした継続的な保存作業のためです。

チケットはどう選ぶ?

いちばん基本のチケットは、日中に自由見学できる「ラ・ペドレラ・エッセンシャル」で、公式のオンライン料金は29ユーロからです。夕方の「サンセット」は25ユーロから、夜のガイドツアー「ナイト・エクスペリエンス」と早朝の「サンライズ」は39.50ユーロからと案内されています。ほかに、サン・パウ病院やカタルーニャ音楽堂、ダリ劇場美術館とのセット券もあります。違いはチケット予約の比較表にまとめました。

夕暮れの屋上のイメージ
イメージ画像。夕方の光の中で屋上を歩くようなひとときを想像してください。

日本語で楽しむには

公式サイトは日本語で表示でき、エッセンシャルとサンセットなどの自由見学には、11言語のビデオガイドが含まれます。言語には日本語も入っています。一方、夜のガイドツアーは、公式の案内ではカタルーニャ語、スペイン語、英語、中国語の4言語で、早朝のサンライズは英語と中国語と表記されています(日本語のサンライズが始まったと伝える記事もあるため、購入ページで最新の言語を確認してください)。日本語のガイドを期待して選ぶと、思い違いになりやすい点です。

団体(9名以上)の見学は、事前の予約により、日本語を含む複数の言語でガイドが付けられると公式FAQにあります。旅行サイトの商品では、日本語に対応したガイドツアーが載っている場合もあるため、商品ページの言語表記を購入前に確認してください。

予約前に知っておきたい注意点

グラシア通りでの回り方

カサ・ミラのあるグラシア通りは、モデルニスモ建築が並ぶバルセロナを代表する通りです。通り沿いの43番地には、同じガウディが改築したカサ・バトリョがあり、2つの建物を同じ日に見る旅行者もいます。サグラダ・ファミリアは別の方角にあるため、1日にまとめる場合は、移動の時間を含めて予定を組みます。

館内には、カフェ「エル・カフェ・デ・ラ・ペドレラ」と、ガウディ関連のグッズを扱うショップがあります。見学のあとに休憩すると、無理のない流れになります。

並木のある大通りのイメージ
イメージ画像。エイシャンプラ地区は、並木と石造りの集合住宅が続く街並みです。

カサ・ミラの公式サイトは日本語で見られる?

当サイトは公式サイトではなく、独立した非公式の紹介サイトです。公式サイトの lapedrera.com には日本語ページがあります。日本語の動画ガイドも案内されています。

よくある質問

カサ・ミラとラ・ペドレラは同じ建物ですか?

同じ建物です。正式にはカサ・ミラで、石切り場を意味するカタルーニャ語のあだ名「ラ・ペドレラ」で呼ばれることも多く、公式サイトも両方を併記しています。

カサ・ミラはどこにありますか?

バルセロナのグラシア通り92番地です。最寄りはメトロ3・5号線のディアゴナル駅で、公式サイトによると、ほかにカタルーニャ鉄道のプロベンサ駅や国鉄のグラシア通り駅も利用できます。

予約は必要ですか?

必須ではありませんが、公式は待ち時間や手数料を避けるため、事前予約を強く勧めています。オンラインで買うと、専用の入口から並ばずに入れ、窓口より安いと公式FAQにあります。

料金はいくらですか?

公式のエッセンシャルは、大人29ユーロから、12歳から17歳が14.50ユーロ、0歳から11歳は無料です。日付や種類で変わるため、購入ページで確認してください。

所要時間はどのくらいですか?

公式FAQでは、エッセンシャルの見学は音声ガイド付きの自由見学で、おおよそ1時間から1時間半です。

日本語で見学できますか?

自由見学のビデオガイドに日本語があります。夜のガイドツアーはカタルーニャ語、スペイン語、英語、中国語です。

いつ休館ですか?

公式の案内では年中無休です。ただし、2026年10月時点で、2026年12月25日と2027年1月11日から17日は休館と案内されています。

屋上には誰でも上がれますか?

屋上はエレベーターで上がれますが、段差が多く、車いすやベビーカーでは通行できません。降りた場所に展望用のプラットフォームがあると公式は説明しています。雨の日は閉鎖されます。